2010年 04月 09日
大山崎山荘+聴竹居を訪ねて(2)
14時からギャラリーツアーがスタート。
参加者はロビーに集合して、学芸員さんの案内のもと
建物の由来や一つ一つの部屋のディテールの説明を受けながら
館内を廻ります。
この建物は加賀正太郎氏が全て自分でデザイン、
監督して作らせたこと。
加賀家は証券業以外に林業も営んでいたので
館内の柱にはしっかりとした木材がふんだんに使われていること。
居間の暖炉には古代中国の墓室の壁に使われてた画像石が嵌め込まれ、
暖炉や天井には地元の名産である筍モチーフや家紋を浮き彫りにし、
壁には魚網が塗り込められていること。
居間とサンルームとの境に嵌め込まれたステンドグラスには
金が練り込まれ、居間側からは夕焼け
サンルーム側からは朝焼けに見えること。
晴れた日の午後には展示室の窓のカットガラス越しに
虹色の光が差し込むこと。
二階に上がる階段ホールではある場所から見ると
ちょっとしたトリックでステンドグラスのマリア様が2人に見えること。
山荘の建設当時は蘭の温室があり一万株近い蘭が栽培されていたこと。
その蘭の姿を後世に残す為に加賀氏が蘭花譜と呼ばれる
素晴らしい木版画を作らせ遺したこと等々・・・
若い学芸員さんが丁寧に愛情を込めてゆっくりと
説明してくださいます。
☆
本館をひととおり見たら次は庭園に出て
普段は公開していない2つの茶室を案内してもらいます。
1つめの「栃の木茶屋」は本館入口の手前にあり、
中に入ると田舎の家に足を踏み入れた時の懐かしい木の香りが
ふんわり漂います。
もう1つの茶屋は宝寺側の庭の奥にひっそりと。
どちらの茶室も時折茶会などの催しで開放されるそうです。
この日はアサヒのバナジウム天然水と
学芸員さん差し入れのカントリーマアムでおやつタイム。^^
☆
山荘案内の最後はこの地に最初に建てられ塔の上から全体の配置や
バランスを見ながら加賀氏自らが山荘建設の指揮を取った場所と
言われている「白雲楼」。
塔は本館とは対極の無駄を省いたシンプルなデザインと造りですが、
最上階からはどこよりも素晴らしく贅沢な眺めを楽しむ事が出来ます。
最上階に上がって眼下に広がるおおらかな景色を見ていると、
加賀氏がどんなに胸を躍らせ幸福感に浸りながら
この場所に立っていたかを想像出来る気がしました。
加賀氏自身は建築家でもデザイナーでもなかったにも関わらず
この山荘のみならず、庭の草木の種類や配置から館内で使う
生活用品に至るまでの全てを独自の感性でデザインしました。
そこまで心血注いで創りあげたユートピアも
1967年に加賀家の手を離れた後は持ち主が転々と変わり
館は見るも無惨に荒れ果て、最後は山荘を取り壊して
高級マンションを建設する計画が実現直前まで進んだそうです。
その計画を知った地元住民と京都府の強い反対と働きかけで
アサヒビールがこの地を所有管理する事になりました。
加賀氏が現在はアサヒビールの傘下にあるニッカウイスキーの
設立に関わっていた事や、アサヒビール初代社長の山本為三郎氏が
民芸運動の普及、支援、蒐集を行っていた事も
この山荘が現在のような形で保存、公開される良い縁になったようです。
☆
大山崎山荘のドラマティックな歴史と建物を存分に堪能したら
次は加賀正太郎氏と同時代に活躍した建築家の藤井厚二氏が
自ら設計し、環境共生住宅として実験的な試みを様々に施し
実際に生活した実験住宅「聴竹居」へ移動します。
美術館から一旦駅側に坂を下り、
踏切の手前で再び山沿いの道を登って行くと
閑静な住宅が並ぶ緩やかな道の曲がり角に新緑に覆われた石段が、
その手前には聴竹居と書かれた看板が見えてきます。
藤井氏は49年の短い生涯の中で5つの実験住宅を作りました。
第1回実験住宅は神戸に、第2回実験住宅以降はこの地に移り住み、
第5回実験住宅「聴竹居」が唯一建物として現存しています。
長らく個人所有の為に非公開でしたが、
数年前に大手建設会社が持ち主から建物を借り受け、
地元ボランティアの協力を得て一般公開されるようになったそうです。
ここでも地元ボランティアのおじさまが
各部屋を丁寧に説明しながら案内してくださいました。
邸内は美術館ではないので修復や保存が十分ではないものの
オリジナルの状態を大切に残しています。
建物は一見和風ですが、中に入ると数寄屋建築の伝統美と
和の生活様式にモダニズム建築と西洋の生活様式の融合を感じさせる
和洋混在の独自のインテリア。
玄関を入るとすぐに居室(居間)で、その居間を中心に
居間の一角に三畳の小上がり、その対面には食事室、
西側には客室と読書室(子供室)が配置されていて
東西南には全長10mのガラスの連続窓を持つ縁側(サンルーム)があり
読書室からは庭の眺めを楽しむ事が出来ます。
居間からキッチンと小上がりの間にある廊下を進むと
通路沿いに収納室、客室、トイレ、風呂場があり
その更に奥は閑室(離れ)へと続きます。(*閑室は非公開)
ここにあるものは一部の家具や家電製品を除いて
全てがこの住宅の為に設計、デザインされたオリジナル。
余計な家具や物を持ち込んで空間全体のバランスを損なわないよう
収納も飾り棚も壁の時計までもがオリジナルで製作されていました。
*中の写真は掲載出来ないので興味のある方はHPでご覧ください。
そして意匠やゾーニングと共に興味深いのは
冬は各室に電熱器、夏は床下から外気を室内に導入して
欄間やサンルームの天井から排気する事で日本独自の気候や
風土を利用した元祖エコ住宅としての工夫。
藤井氏は「我が国固有の環境に調和し、その生活に適応すべき
真の日本文化住宅を創成せねばならない」と説き、
自ら設計した実験住宅においてその決意を実践、検証したそうです。
このように日本の住環境の未来を見据えて真摯に研究、取り組みされ、
意匠や素材、エコ機能と細部まで拘り尽くした聴竹居は
建築家、藤井氏の気概がオーラとして今も建物を包み込んでいる気がします。
聴竹居が完成したのは1928年で
大山崎山荘が現在の姿になったのもほぼ同時期。
コルビュジェのサヴォア邸が建てられたのは1931年。
F・L・ライトのカウフマン邸(落水邸)の竣工は1937年。
20世紀を代表する名住宅達が作られる以前に
この地にこれらの住宅や山荘が存在していたという事実を知って
静かに驚き、感動しました。
☆
今回のギャラリーツアーには大山崎町在住の地元の方々が
多数参加されていて、参加者の9割以上が美術館のリピーターさん
というのも嬉しい事実。
自分たちが住まう地に残る景観や建物を深い愛情と理解を持って
残そうとされている気持ちが、これらの建物達にとって
何より必要な栄養なのだなと思います。
次回は蓮の花が美しい季節に訪れましょう。^^
by izola
| 2010-04-09 23:00
| 美術館(国内)